shimashimaのblog

日々感じる想いや考えの整理するところ。

2020年オリンピックのロゴ問題で勝手に悲しくなりました。

僕は悲しいです。ひさしぶりにとても悲しいです。

ひとってもっと暖かいものなんじゃないんですか。

 

東京オリンピックパラリンピックのロゴが発表されました。

建築関係の職種にいるロゴのデザインでお金をもらっているわけでもない、1シロートの個人的な感想ですが、かっこいいなとは思いませんでした。けど、動画をみて、広がり感というかと繋がり感があるとぼくは感じました。日本人の多くが2020年に世界から来た人に対して様々な場所・時間で「おもてなし」をしたいと思っているはずです。そのさまざまな場所・時間でこのロゴがうまく、重なるんだろうなと僕は感じてました。

かっちょいいとかダサいとかそれは、個人の感性の問題なのでいいのですが、「パクリだ」とか「パクリ疑惑だ」とか「色はこのロゴそっくり!」とか、デザイナーがその騒ぎに何も言わないと「逃げた」だの「黙るってことはやっぱり…」なんてことまで言い出す始末。SNSでもメディアでも。朝のニュースでも夜のニュースでも取り上げられてるし。それの騒動に黙ってられなくなってコンペに参加した人やデザイン界隈で仕事をしてる人が、コンペの趣旨や自分自身のコンペに取り組んだ想いなども含めて、分かりやすく言葉にしたら「デザイナー仲間が擁護!」というニュースまで。デザインすることで生活するすべての人に対して失礼すぎる。

コンペについて、少し調べてみると、やっぱりオリンピックのロゴを決めるコンペだけあって、参加条件が厳しい。まず、参加するだけでも凄いと言えると僕は思う。そして、オリンピックのロゴだけのコンペではない。オリンピックとパラリンピックのロゴのコンペである。二つの大会のロゴのバランスってとてつもなく、難しいものだと思う。さらに、東京は一度オリンピックを経験している。1964年に。これは日本が国として成長するときと重なったこともあり、すごい盛り上がりであった。その時のロゴは亀倉雄策のデザインである。これは、ほんとにすばらしいものであり、いま見ても熱というか凄味が伝わってくる。同じ都市で同じオリンピックがある。これは少なからず、伝承していく必要性がある。1964年のデザインとつながりを持ちながら、二つの大会のロゴをつくる。そんなコンペ。一流なデザイナーたちが、精神削らして出したロゴを吟味して、決まった今回のロゴ。

なんで、こんな非難されないといけないのか。僕にはわからない。プロの人をもっと信用してもいいのではないでしょうか。デザインで生活してる人たちが、つくり選んだものに対してもっと信頼してもいいのではないでしょうか。デザインってすごいロジカルで繊細。とりあえず、批判の波に乗って騒いどけ!っていうノリは許されない!デザインという業界・美を極める世界・日々の生活に潤いを提供する職種を軽視しすぎな気がする。

 

非難することがカッコイイことだとか、思っている人いるけど、僕が見てきた批評してる人は、ちゃんと相手のことを理解しようとしていたし、批評することに対する責任をちゃんと持っている。何より、相手に対して、誠意を持っている。ただ相手をバカにする。あげ足をとる。とは、違う。誠意をもち、発言は前向きで、その人がより良い方向にいくこと、その世界が少し明るくなること。それがあって初めて批評は成り立つ。そこはちゃんとわきまえたうえで、人に対して接しないとダメなんだ。

ヒトやモノ・コトすべてに対して、敬意がなさすぎる。後ろ向きの発言を平気で人に対してしてる人が多すぎる。

 

僕自身、出来るだけ前方に矢印を向けてひとと接してきたつもりだし、人に対して誠意をもって接してきたつもりだったが、「つもり」ではいけない。今回の悲しい思いをきっかけに自分の発言・行動を見つめ直し、更なる自分を形成していこうと思う。